カテゴリー別アーカイブ: カヌー

お子様連れて、再び

お父さんとお母さんは、何年か前に、
NOCのカヌーツアーにご参加いただきました。

お子様が誕生し、今回は親子でのご参加です。
こういうのってうれしいですね!

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先日、ご参加いただいた成人した娘さんとお母さんも、
10年以上前に来ていただいたことがあると、また訪れて下さいました。
今回は、お母様のご療養をかねてご旅行されているようです。

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とても、仲睦まじい母子さんでした。
また、お会いしたいです。

皆さま、いつでも寄ってくださいね。
お待ちしております。


夏が来た?

雨が多く、気温が低い日が続いたかと思うと、
強い日差しで、27、28度まで気温があがるという
極端な日々です。
(本州の人にとっては、全然過ごしやすいかもしれませんが・・・。)

夏らしい気候の中、本州からの
女子高生たちがカヌーにチャレンジしてくれました。

女子生徒もみなさん、元気いっぱい!
こちらも元気いただきました!!

ゴール付近は、水も澄んでいて、景色も素敵です。
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雨の中のアウトドア

きのう、きょうと雨にもかかわらず、カヌーのご参加ありました。

こんなふうに笑顔で参加していただいて、うれしいです。
アウトドアの活動では、雨には雨の良さがあります。

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ハイキングも雨ならではの良さがあります。

葉っぱが生き生きしています。
そして、雨の日のほうが、空気が澄んでいて、
鳥たちの声もきれいに響くように感じます。

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第22回尻別川クリーン作戦

今年も尻別川クリーン作戦に参加しました。

22回目の今年は天候のせいか若干参加人数が減りました。

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前日から雨が降り続き、水位も30㎝ほど上がった状況での開催でした。

カヌーやラフトボートの使用に問題はありませんでしたが、

カヌーは念のため栄橋まではゴミ拾いをせず川下りを楽しみ、

流れが緩くなるところからゴミ拾いを開始しました。

清流日本一に何度も輝く尻別川は地域の宝でもありますので、

来年はもっとたくさんの方に、特に地元の方に参加してもらいたいと思います。

カヌーやラフトボートを使ったゴミ拾いは、参加無料で川下りを楽しめるチャンスでもあります。

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武四郎の足跡を探る川下り

江戸時代後期に北海道で活動した探検家松浦武四郎は、

安政4年(1857年)に尻別川の鈴川(喜茂別町)から河口までアイヌの案内役4人と丸木舟2艘で下りました。

その行程を武四郎がまとめた「丁巳東西山川地理取調日誌」には、

ニセコ付近での川下りの様子も詳細に記録されています。

現在のこの区間は水力発電のダムなどで大きく変化している部分もありますが、

山が両側に迫り、川は左右に大きくうねり、分流と合流を繰り返す様は、160年前の当時とそれほど変わらないと思います。

また、ダムの止水部分を除けば、武四郎達を苦しめたフィラ(瀬や激流)が数多くあり、

1日に3里しか下れなかったという難所の面影を残しています。

6月15日、武四郎が記録した尻別川の面影を探りに、カヌーで比羅夫駅からニセコ大橋まで下ってみました。

雪解けの増水期も終わり水位がかなり下がっていて、カヌーでは下れないところも数か所ありましたが、写真をとったり地図を見たり資料を読んだりしながら約3時間ぐらいで下りました。

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武四郎が下ったとされるのは9月中旬から下旬にかけてです。

当時はダムもなく、そのままの森林が残っていた時代なので、いまの尻別川の9月の水量よりはるかに多かったと思います。

今回よりは快適に下れたのではと思いましたが、記録を見るとこの区間に3日も費やしています。

武四郎たちは危険を避けるため、フィラでは船を降り、人力で船を引き上げ移動させたり、ロープを使って船だけを川に流したりして下ったのでした。

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ざっとですがこの区間のフィラをかぞえたら33箇所ありました。ダムにより水没してしまったフィラも加えると40箇所以上はあったと思われます。

また、最大の難所と記録されているのは現在のダムのあたりにあったフィラのようです。日誌には両岸は崖になっており、大岩がゴロゴロと重なり、その間を滝のように水が落ちるとあります。

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この難所では、上にある木に縄をかけ、船を13~14mも引っ張りあげ、笹原を50m引きずりまた縄で川におろしたとあります。さぞかし骨が折れたことでしょう。

 

この近くで野営した武四郎は「河口までどれだけかかるのか、一同心細くなってしまった。ただ、山の霊に無事をいのるのみ」と記しています。

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この後もフィラは続きますが、ニセコの街が近くなったのか両側の山が低くなりなんとなく視界が開けてきます。JRの鉄橋を2回くぐりました。

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フィラの険しさも一段落です。記録では「さっきのところさえ超えれば、この先恐れるところもあるまじと、一同喜んだ」とあります。どのあたりだったのでしょうか?

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ニセコ市街地にさしかかるところに発電所と放水口があり、水量が豊富になります。川がニセコ市街地を流れるようになると多少のんびりできます。この後も旅は続き、蘭越町黄金まではフィラの記録があります。今回はニセコ大橋で上がりましたが、さらに下流の様子も調べるつもりです。

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3日後に同じルートを郷土史研究家の方と二人で下りました。ちょっとした落ち込みで転覆してしまったのですが、防水バックのおかげで資料や機材は濡れませんでした。しかし、江戸時代の筆記用具は墨なので資料は絶対に濡らせないものだったと思います。武四郎にとって記録は何物にも代えがたい貴重なものだったことからも、丸木舟が転覆したり、沈んだりしないように細心の注意を払って難所に挑んだものと思われます。