月別アーカイブ: 2005年7月

観察旅行 その2

まだ記憶が鮮明なので、立て続けに投稿。
1日目は厚岸(あっけし)の水鳥観察館へ。
ここは湿原になっているので、多くの水鳥や、タンチョウが見れます。
今は夏なので、冬ほど多くの水鳥はいないけど、タンチョウは子育てしていて雛が見れました。
タンチョウの雛は親に守られながら、悠々と餌をついばみ、かわいいもんです。
その後、野鳥の楽園と呼ばれる春国岱(しゅんくにたい)へ。もうここは根室のそば。
ここでは国道脇の干潟に普通にタンチョウがいて、森の中は鳥がいっぱい鳴いてて、まさに楽園。
鳥や動物好きには「こりゃ、たまらん」といった感じ。
5月の繁殖期には鳥のさえずりが騒がしくてすごいことになっているらしい。
29.8:320:240:0:0:170712doutou0005:left:1:1:国道脇にもタンチョウが・・:
19.3:320:240:0:0:170712doutou0007:left:1:1:カラスがウニをつついてました。道東産のカラスはグルメだ!!:


観察旅行 その1

11日の仕事が夕方に終わるとそうそうに家に帰り、バタバタと準備をして19時に出発。
体に鞭を打ちつつ、とりあえず釧路方面へ。
普段はケチケチ旅行なので、高速なんて使ったことがないけど、今回は「バカンス」!
惜しげもなく高速を使って走り続けたのでありました。
北海道(特に道東)の夜に走る、というのはとても疲れる。
というのは、歩行者よりも、シカ、キツネ、タヌキなどが「これでもか!」っていうくらい道路脇に待機してる!!(歩いている人なんてまずいない)
「飛び出さないでね~」って、お互いがお互いの動きを探りつつ、の運転が続くのです。
どうしても夜走る人は、くれぐれも気を付けて下さいね。
早くもクタクタに気疲れしつつ、深夜2時に釧路到着。車の中で寝て、明日からの移動に備えたのでありました。
あっ、全然自然の紹介をせずに、日記風にきてしまった!
この間運転に忙しく、写真すらありません。
次回の「その2」に期待・・・。


観察旅行 まえがき

昨日まで4日間の休みを取って、道東の方へ観察旅行に出かけていました。
そこで、その間の津々浦々の出来事、感じたことをここで報告します。長くなるので覚悟して、気長にチェックしてみて下さい。
(ウチのMINAMIガイドの「ニセコの名所」シリーズのように、一ネタでかなり引っぱりますよー。)
いくらなんでも、夏休みを越す気はありませんから・・・。
「他人の旅行話を聞いてもつまらん!」と思っているあなた!!
そこはガイドの力量です。ちょっと変わった視点から北海道の動植物を紹介しましょう。でも綺麗な花などはまるで図鑑のように普通に載せちゃいます。そんな時は、「ちょっと変わった視点から」、って風に思いつかないときなのです。
このシリーズを読むときは、寛容なあなたの心が大切です。
なんて書いていたら、まだ旅行に出発すらしてません。
「その1」から始めますよー。


ニセコのかくれた名所・旧跡5

ニセコのかくれた名所・旧跡を紹介するシリーズ第五弾。いちど曽我小学校に戻った後、東啓園で一休みしていた我々は有島記念館にむけて出発しました。それにしても長い休憩でした。
東啓園から尻別川に下って行きます。ニセコ大橋が完成しいまはほとんど車も通らない芙蓉橋。そこからみた尻別川。
16.9:250:187:0:0:DSCN2232:left:1:1::
昔はここに渡船場があったそうです。今の水量を見ると不思議な気がします。更に上流に行くと白い車が沈んでいるといううわさがあります。今度下るとき見てみよう。


かわいいヤツ?その2

前回のサンショウウオに続いて、今回はカエルです。
彼の名は日本中にいる「ニホンアマガエル」。アマガエルは鼻先が丸く、寸づまりなのが特徴。鼻から鼓膜にかけての黒い線もよく見えます。
今まで鳴いていたのは「エゾアカガエル」。最近盛んに鳴いているのはアマガエルの彼です。この声が初秋まで聞けますよ。
今年はまだ彼の卵は見に行けてないけど、産卵期に入り、最近大騒ぎ。
夏の声ですね。今頃日本中で彼の仲間達が鳴いてることでしょう。
20.7:320:240:0:0:170709nihonamagaeru0001:left:1:1:雨上がりにじーっ、としてました:


ニセコのかくれた名所・旧跡4

オッとっとー!
大事なところを通り過ごしていました。曽我小学校跡です。東啓園から10分ほど引き返します。
場所は曽我神社をでて66号に出合う手前にあります。
開校は1903年、日露戦争の前年です。
今は、曽我小学校跡と記す石碑と二宮金次郎の銅像、100坪ほどの原っぱが残るのみ。
当時はどんな風景だったのでしょうか?金次郎に問いかけても返事はありませんでした。
1963年にニセコ小と吸収統合となっています。ニセコ町開基70周年翌年の出来事でした。
18.9:200:266:0:0:P5220351:left:1:1:戦前からある学校にはまだあるのかな?: